

※以下の文は仮訳です。書籍版とは異なる場合があります。
何千年も前から先住民族は、豊かな海とともに暮らし、豊かな海に頼って生きてきました。太平洋諸島の文化は、健全なサンゴ礁にすむ魚の群れに頼ってきました。米カリフォルニア州チャンネル諸島のチュマシュ族の人々は豊富なアワビを食べ、アラスカ州のアレウト族の人々はベーリング海の海洋哺乳類を食べて生きていました。カリブ海に最初にスペイン人入植者がやって来たとき、非常に多くのウミガメが泳いでいて、木造の船体にぶつかってきたといいます。船長たちは、そのドスンという音を、危険なものとして航海日誌に記録していました。「船は、ウミガメに乗り上げるように思えた。まるでカメの中に浮かんでいるようだった」と、1494年のコロンブスの2度目の航海で、アンドレス・ベルナルデスが記しています。1497年にヴェネツィアの探検家ジョン・カボットが、カナダの、後にグランドバンクスと呼ばれるようになった場所のはずれで、魚を釣ったときの話も残っています。船員たちが石の重りを乗せた籐のかごを海中へ落とし、引き上げると、そこにはタラがピチピチと跳ねていたそうです。オランダ人がニューヨークに最初にやって来たとき、そこは大量のカキ礁で守られていました。20世紀初頭までカキは、チェサピーク湾内のすべての水を1週間でろ過し、きれいにしていました。今ではカキはほとんどいなくなり、肥料の流出や養豚場からの廃水で水が汚染され、チェサピーク湾は有毒物質だらけです。ルイジアナ州ニューオーリンズ市では、その南側で塩性湿地がハリケーンの影響を押しとどめていました。南アジア全域で、マングローブが津波の襲来を妨げていました。豪クイーンズランド州の沖合にあるリザード島から、カリブ海南部のボネール島に至るまで、石膏のように白いサンゴの砦が、浅地にある都市の強固な生態系をつくっていました。今ではカメやタラ、サンゴがいなくなり、被害を受け、姿を消しつつあります。休日に、シュノーケルマスクを付けた子どもがワクワクして目にする海の中の世界は、今でも素晴らしく見え、また本当に素晴らしいのですが、かつての海の様子とはかけ離れています。この現象には名前があります。「シフティング・ベースライン」です。今日、生き生きしているように見え、素晴らしいと思えるものは、かつて入植者たちが息を飲むほどの衝撃で目の当たりにしたものとは比べ物になりません。先住民族がかつて知っていて、その恵みを享受して、持続可能な形で収穫してきたものとも、まるっきり違います。このことは、「通常」の気候とはどのようなものか、についての私たちの認識にも当てはまります。
「海洋保護区」は、地球上の海洋や沿岸部に広がる素晴らしい大自然を保護するものです。また、公海であれ沿岸域であれ、劣化した海域や魚介類が乱獲された海域の再生も行ないます。海洋保護区は、生物多様性を高め、回復させます。サメから海草まで、多種多様な生物種や生態系が生き生きと混在するのです。海洋保護区がうまく設計されて実施されれば、人間の都市を高潮、ハリケーン、海面上昇から保護する役割を果たします。海洋自体もさらに酸性化が進まないように守られることになります。おそらく現状で一番重要なのは、保護区内の動植物が炭素を減らして、何百年にもわたってそれを埋めておく働きをすることです。
すべての海洋保護区が同じようにつくられているわけではありません。中には、「スピルオーバー効果」と呼ばれますが、境界線の外で魚の個体数を増やすように設計されるものもあります。また、炭素を取り込んで埋めておくためのものもあり、これはたいてい沿岸域に設置されます。海岸線に近い沿岸域(「グリーンオーシャン」と呼ばれます)の海洋保護区と、公海(つまり「ブルーオーシャン」)でつくられるものには、違いがあります。科学者たちは大規模な実験の結果、もし2030年までに地球上の海洋の30%を保護できれば――「30 by 30」(30年までに30%)アプローチと呼ばれます――、魚が減るどころか増えて、二酸化炭素が減って隔離され、植物プランクトンのおかげで酸素レベルが上昇して、私たち陸上生物に恩恵をもたらすと結論づけました(私たちの吸い込む酸素の半分が、危険にさらされている海洋で発生したものです)。
海洋や沿岸水路に公園をつくるという考えは、スタートで出遅れました。海域を保護する動きがまとまったのは、1966年になってからです。先住民族は、コミュニティによる海洋資源管理を、何千年とまではいかなくても、何百年も前から行なってきています。ハワイでは「カプ」、パラオでは「ブル」などと呼ばれるこうした制限は、特定の季節に特定の魚の漁獲に対して課され、健全な魚の個体数を維持してコミュニティの持続に資するようにしていました。しかし21世紀初頭までには、大型の捕食魚の約90%が世界の海から姿を消し、魚種資源の30%が乱獲されて生物学的に持続可能でないレベルにまで至っていました。「禁漁区」、つまり漁業も貝類採取も工業利用もすべて禁止する(たとえばケルプの収穫や砂の採掘なども行わない)という考えは、シンプルかつ大胆で、激しい議論を巻き起こしました。でも、うまくいきました。アワビや太平洋イワシは、力の及ばないところまで生態系のベースラインがシフトしていたため、元通りにはなりませんでした。が、ほかの魚種では、両岸の海洋保護区で魚卵、稚魚、幼魚が増えました。そして漁師が驚いたことに――そのほぼ全員が保護区に反対していたわけですが――、保護区の外でも漁場が改善されたのです。大幅な改善が見られることも多々ありました。保護区の外および国の領海の中で、刺し網漁や延縄漁などの漁法を違法化し、見境のない漁法に直接対処したことでも、同じような改善が起きました。
海洋保護区が成功した要因は何でしょうか? 第1に「保護」です。完全な禁漁区です。もし漁業や採取が許されたら、生態系が弱まり、崩壊することすらあります。サメやラッコなどのキーストーン種(中枢種)の保護は、バランスと秩序を確立するのに役立ちます。いま公海は、漁業を行なうリソースをもっている者、主に中国の工業化された漁船が漁業を行なう無法な共有地となっています。同時に、厳格な保護を行なわなければ、海岸に近い保護区は密漁者の格好の標的となります。大型の漁船は、数を減らし、監視しなければなりません。ベストプラクティスを励行させるのです。富裕国の保護区は、資金が手に入り、強力なガバナンスがあるため、比較的簡単に保護できる傾向にあります。村や地域のタンパク源のほとんどが乱獲されている国では、別の収入源を開発すれば、持続可能性の回復に役立てることができます。たとえばメキシコの太平洋岸にある小さなカボ・プルモ保護区では、地元漁師が禁漁区を設置するように政府に請願しました。これが見事な成功を収めています。保護区内の魚が重量で4倍以上に増えるとともに、保護区の外でも漁場が大幅に改善されました。多くの市民が、保護区や海岸でパトロールや管理を行う職も得ました。アフリカのパークレンジャーのようなものです。観光業が躍進しました。このような地元の賛同とステークホルダー(利害関係者)の関与は、フィリピンからガボンに至る世界各地で、きわめて重要な役割を果たしています。
第2に、「規模」が重要です。100平方キロメートルよりも大きい保護区が成功しているといえます。なぜなら、小さい保護区の場合(政治的な意図のもと、やっているふりをするために設置されることも多い)、魚、幼魚、稚魚が保護区からその外へと、非常にたやすく移動する傾向があるためです。深海や砂地に囲まれていれば、なお良しです。
第3に、回復には「時間」が必要です。最もよくいわれる回復期間は10年です。海洋保護区は、海水をアルカリ性にしてそれを拡大させるのに役立ちます。これは、主に大気中の二酸化炭素によって起きる酸性化の影響を和らげます。地球上で最も数が多い脊椎動物は、「中深層」と呼ばれる水深200~1000メートルの中層に生息している魚類です。ここにすむ魚は、日中は捕食者を避けるためにこの範囲の下の方にいて、夜になると一斉に海面へ上がってきてプランクトンなどの小型生物を食べます。そして、海の深いところでアルカリ性の胃でエサを消化しますが、海面に上がってきてから炭酸カルシウムの結晶(方解石)としてフンをします。それによって海水面の酸性度が下がります。科学者はこれを「アルカリポンプ」あるいは「生物ポンプ」と呼びます。公海で操業する工業型の漁船はいま、獲り尽くしてしまったほかの魚種資源の代わりに、膨大にいるこのような魚に目を向けています。もし公海に海洋保護区が設置されれば、このような魚は酸性化の低減に役立ち続けるでしょう。これは、複雑で魅力的で、ほとんど魔法のような概念です。何十億匹もの小魚が調整しているこのアルカリポンプは、ほとんどの人がその存在すら知らないでしょうが、この地球の海洋のpH値を調整するのに役立っているのです。
第4に、海洋保護区は「炭素」を大幅に減らします。「ジャイアントケルプ」と呼ばれるオオウキモ(Macrocystis pyrifera)以上によく炭素を隔離するものはありません。ジャイアントケルプというのは、私たちが自然特番で目にするような、高くそびえ立つ褐藻類です。波でゆらゆらと揺れる茎状部の間をアザラシが跳ね回り、鮮やかなオレンジ色のスズメダイを石の隙間へ追いやる様子を見たことがあるでしょう。ケルプは生長が早く、死ぬのも早いです。ジャイアントケルプは理想的な条件下では、1日に約60センチメートル生長することもあります。海洋保護区は、沿岸の海草藻場も守ります。海草藻場は、世界の海洋の0.1%未満ですが、1年間に海洋堆積物に埋められる炭素の約10%を隔離しています。沿岸のマングローブが隔離する炭素は、同じ面積の熱帯林の2倍にあたります。私たちは、砂の浚渫や、開発、石油と天然ガスのパイプ敷設、エビの養殖、鉱業を阻止する必要があります。このすべてが、大量の炭素を埋めて減らしてくれるマングローブやカキ礁、塩性湿地、海草藻場、ケルプを破壊するからです。
公海で漁獲される魚介類は、養殖を含め、総生産量の2.4%未満です。世界の海での総漁獲量のわずか4.2%しかありません。具体的にはマグロ、メロ(マジェランアイナメ)、カジキなどで、ほぼすべてが日本や米国や欧州のような、食料が確保された国の高級品市場に並ぶ運命にあります。こうした魚はほとんどが、中国や台湾、日本、韓国、スペインの、手厚い補助を受けた漁船団で漁獲されます。漁船団は、高価な化石燃料を燃やして、獲物のいるところにたどり着きます。もし公海での漁業を禁止すれば、沿岸部に近い海域で漁獲量が増加するために十二分に報われるだろうということを示す、良いデータもあります。
海洋保護区の価値がだんだん理解されるようになり、保護された海域の割合は、2000年に0.7%だったのが、2020年には制定済みあるいは提案されているものも含めると約5~7%へと増えています(ただし、陸域では15%)。10倍の増加です。保護区は1万5000カ所以上にのぼり、表面積は北米と同じぐらいです。米国最大の保護区は、ハワイ諸島の北西に位置するパパハナウモクアケア海洋ナショナル・モニュメントです。面積は151万平方キロメートルで、同国内の陸上の国立公園をすべて足し合わせたよりも広い面積です。手つかずのサンゴ礁と、島々の間の深海を保護しています。世界最大級の海洋保護区であるフェニックス諸島保護地域は、キリバス共和国に設置されました。毎年、パラオ、フランス、アルゼンチン、チリ、ペルー、ガボンといった国が、次々に手を上げています。海洋学者エンリック・サラが創設した「原始の海」プロジェクトが発端となることもよくあります。サラは、スクリップス研究所の教授を務めていたとき、自分の書く科学論文が事実上、海の死亡記事だと気づきました。彼は研究所をやめ、ナショナルジオグラフィック協会の支援を受けて「原始の海」を立ち上げました。これにより、520万平方キロメートル以上の海が、保護されて人の手が入らないまま残されることとなりました。海洋保護区1つひとつに、独自の具体的な保全目標が設定されています。効果を評価する際に使われる尺度の1つは、完全に保護された保護区内に存在する魚類と海洋生物の生物量です。
海洋保護区は、炭素を隔離し、世界の海岸線の保護と改善に役立つ、ローテクで費用対効果の高い戦略です。世界の60万キロメートルの海岸線に、人類の3分の1が住んでいます。2030年までに海洋の30%を保護する目標は、「三方良し」となります。すなわち、増加している世界人口の食料となる天然魚が増えること。生物多様性が回復し、気候変動に対するレジリエンスが生まれること。そして、炭素が固定されること、です。